◎講師ブログ

自分の生徒さんが他の先生に褒められると嬉しいものですね

 おはようございます。ご無沙汰しております。

 もう三ヶ月も前のことですが、当教室は発表会を開催しました。その詳細はアメーバブログに書きましたのでそちらを参照して頂くとして、こちらでは嬉しかったことを書きます。

 

 発表会は数人の先生と合同で行ったのですが、私の生徒さんの歌を聴いた他の先生が、生徒さんのことを、年々良くなっていると言ってくれました。他の先生は私の生徒さんと年一回、発表会のときにしか会わないので、私以上に上達の幅が分かる訳です。

 

 私自身も最近生徒さんが伸びてきたなと感じていたのですが、他の先生が客観的な視点でそう言ってくれたのはやはり嬉しかったですね。私がそう思い込んでいる訳ではないということが裏付けられたのですから。

 

 勿論上達したのは生徒さん個人の努力があったからで、私は大したことはしていませんが、それでも単純に嬉しいものです。

 

 今後もどうすれば生徒さんが伸びるか、また私自身が伸びるかを追求していきます。 

明けましておめでとうございます

 新年明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。また、旧年中は大変お世話になりました。ありがとうございました。

 

 さて、今日から当教室もレッスンが始まります。まだ正月の気分に浸っていたいですが、そろそろ頑張ることにしましょう。

 

 生徒さん達は3月4日の発表会に向けて、一生懸命課題に取り組んでいます。今回はかなり大変な曲を選んだ方もいますが、お互いに努力して何とかしたいと思います。

 

 あまり根拠はありませんが、今年は良い年になるような気がします。

0 コメント

歌い手だからといって太らなければならないことはないと思っています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 こんにちは。今日は体重のお話です。

 

 私は音大生時代、ときどき師匠からもう少し太りなさいと言われていました。しかし体質のせいか結局太りませんでした。勿論今後どうなるかは分かりませんが。

 

 そもそも何故太れと言われたのか理由はもう覚えていませんが、ここで歌い手が太るのことの利益と不利益を考えてみましょう。

 

◎利益

①声を支えるのが楽になる(かもしれない)

 

 これは以前オペラで共演した先輩からお聞きしたことですが、その先輩は30代になって太ってから歌うのが楽になったそうです。私自身は太ったことがないのでまだ検証できていませんが、歌い手の中にはかなり太っている人が少なからずいるので、そういう効果があるのかもしれません。

 

②舞台上で存在感がある

 

 以前オペラに出演した際、男性キャスト陣に太った人が多いときがありました。稽古中彼らを見ていると、ドーンとしっかりそこにいるという印象を受けました。つまり存在感がかなりあったのです。これは素直に羨ましいと思いました。細いと華奢に見えるので損をする場合があります。

 

◎不利益

①特に女性の場合、見た目が悪くなる

 

 男性の場合はそんなに問題にならないのですが、女性の場合、可憐で美しい役をやる際、見た目の部分で問題が生じます。「肺病で死ぬ患者がそんなに太っているか?」と観客に思われたりします。

 

②糖尿病などの生活習慣病に罹患する危険性が高くなる

 

 これは歌い手に限った話ではありませんが、あまりに太っていると生活習慣病にかかりやすくなってしまいます。糖尿病の薬を飲んでいるテノールの方を知っています。また、足や膝に負担がかかるので、整形外科的な問題が起こる場合もあるでしょう。

 

 以上を総合すると、どちらがいいとは一概に言えません。ただ私の経験上、細くても声はちゃんと出ますので、楽になるために無理矢理太らなくてもいいと思います。実際、私より細くて私よりはるかに上手な女性の歌い手と共演したこともありますので、上手くなるために太っている必要はありません。

 

 体質や歌う上で何を優先するか等、人によって様々ですので、無理に太ったり急激に痩せたりする必要は無いと思います。

 

 写真は現在の私の体重です。

 

ピタゴラスの定理はちゃんと役に立ちます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こんばんは。更新が久々になってしまいました。

 

 さて、ときどき「ピタゴラスの定理なんて日常生活には何の役にも立たないのに、何故勉強しなければならないのだ?」と言う人がいます。私はこの意見に反対です。ピタゴラスの定理はちゃんと役に立ちます。以下に理由を述べます。

 

 数学のような筆記の勉強を、身体の鍛錬やスポーツに例えて考えてみましょう。

 

 身体を鍛える方法には色々あります。ただ歩いたり走ったりするのもその一つですし、水泳もあれば、腕立て伏せやスクワットのような筋力トレーニングもあります。球技もあれば、鉄棒、器械体操、武道等本当に色々な方法があります。

 

 これに関し、「ただ歩くだけでも体は鍛えられるのだから、体育の時間に他の競技をやらせるのは無駄である」という意見の人は少ないでしょう。その種目、その競技でしか鍛えられない身体の部位や、学べない心理があるからです。

 

 頭脳の鍛錬もこれと同じです。

 

 日常生活で使うレベルの基本的過ぎる加減乗除だけでは鍛え方としては不十分なのです。つまり、ピタゴラスの定理のような刺激も脳に与えてやり、脳を十二分に運動させてやらなければなりません。それが頭脳の鍛錬になる訳です。

 

 そもそも数学だけでなく、国語、英語、理科、社会があるのも色々な種類の刺激を与えて頭を鍛えるためです。音楽もその鍛錬方法の一つです。

 

 それにピタゴラスの定理は日常生活にもちゃんと役に立ちます。ここからは非常にいやらしい話になりますが、正直に書きたいと思います。

 

 ピタゴラスの定理のような問題ができる人はできない人より高いランクの高校や大学に進むことができるので、その後高収入を得られる職業に就きやすくなります。実際、大学受験の科目に数学を選んだ人は選ばなかった人より年収が100万円高いという統計さえあります。

 

 こうなると日常生活に役立たないどころか、年間100万円増という形で立派に役に立っている訳です。ピタゴラスの定理を侮ってはいけません。

 

 音楽でも脳を鍛えることができます。いつ、どんな形であなたを救ってくれるか分かりませんよ?

 

 

続きを読む

結局、努力した方が早いと思うのです

 おはようございます。

 

 私は本気で上手くなりたい方にはそれ相応の努力を求めます。対して、歌を歌うことが忙しい日常の中の潤いや気分転換になってくれたらそれでよいという方にはそんなに求めません。今日は前者の方向けに書こうと思います。

 

 私が努力を求めるのは、「苦労して頑張ることこそ貴い」というような道徳的な精神論によるものではありません。実際私は「博打打(ばくちうち)」を否定しません。競馬や競輪で生計を立てられるならそれもいいと思います。

 

 では何故努力を求めるのかと申しますと、ただ単に、上達するには努力が必要だと思うからです。

 

 以前、「私は努力が嫌いです」と言った生徒さんがいらっしゃいました。実に正直な発言だと思います。何を隠そう、私もそうです。努力せずに歌が上手くなればどんなにいいでしょう。

 

 でも努力せずには上手くなれませんでした。私も努力が嫌いなので、他人より努力したとは思っていませんが、それでも多少の努力はしました。私の周りを見ても、努力無しに上手くなった例はありません。

 

 ときどき、「努力せずに上手くなる方法を『努力して』探す」人がいます。だったら、努力して普通の練習をした方が早いと思います。「そういう態度がけしからん」ということではなく、その方が効率が良いからです。私の生徒さんも努力している方は上達していますから。  

0 コメント

教室発表会が無事終わりました

 おはようございます。

 

 五日に私と妻と、知人のピアノの先生方との合同発表会を、伊丹アイフォニックホールにて行いました。長時間に及ぶ発表会だったので、終わってホッとしています。出演された生徒さんも皆ホッとしたと同時にかなり疲れたのではないでしょうか。

 

 私の生徒さんもよく健闘していらっしゃいました。人前で一人で歌う以上、かなり緊張するのは当たり前であり、緊張により普段できていたことができなくなっていたところもありました。しかし同時に本番特有の精神の集中と高揚により、いつもは今一つのところをきちんと歌いこなしていましたから、全体としては満足のいく仕上がりでした。次回はもっと良くなるでしょう。

 

 残念ながら、急病により出演できなくなった生徒さんもいらっしゃいました。かなり上手になっていらっしゃったので、本当に惜しかったです。是非皆さんに聴いて頂きたかったです。次回に期待したいところです。

 

 私も講師演奏ということで、二曲歌いました。幸いなことに好評でしたので、とりあえずよかったです。私も次回、更に良い仕上がりにしたいですね。

 

 かつて私の師匠が、「百回の練習より一回の本番」と仰っていました。生徒さんは皆どう感じたでしょうか?

 

 

0 コメント

明けましておめでとうございます

 新年明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。

 

 さて、去年はそれぞれの生徒さんに上達が見られました。今までできなかったことができるようになった方や、声がより楽に出やすくなった方等いらっしゃいます。私もご本人も驚くほどの進歩を遂げられた方もいらっしゃって、改めて人間の成長力を感じさせられました。「どうせ子供の頃からやってないとダメなのだろう?」と思っている方がいらっしゃるなら、それは違いますと今ここで断言しておきます。

 

 また、去年新しく入られた生徒さんの中には、秘められた力をお持ちと見受けられる方もいらっしゃり、この生徒さんが今後どれだけ化けるのか、今からとても楽しみです。

 今年も生徒さんの上達のため、そして講師としての私の実力の向上のため、共に手を取り合って精進して参りたいと思います。本年も当教室を宜しくお願い致します。

 

 

0 コメント

お風呂で練習してはいけません

 おはようございます。

 

 人は入浴中、ふといい気分になって鼻歌の一つも出るというときがあります。鼻歌程度で終わればそれも楽しくてよいものですが、そのうちに本気になってくる場合があります。

 

 こうなると要注意です。お風呂で真剣に歌の練習をしてはいけません。近所迷惑という理由ではありません。お風呂はかなり音が良く響く空間ですから、自分の声もいつもとは比べものにならないほど鳴り響きます。その鳴り響く声を聞いて、「こんなにも上手くなった」と錯覚してしまうのが良くないのです。

 

 その後普通の部屋で歌うとがっかりしてしまいます。お風呂で鼻歌を歌っていて本気になりかけたら、そこで止めておきましょう。

 

 ところで最近、新しい生徒さんが入会されました。身近にいる歌の上手い人を見て、自分もそうなりたいと思ったのがきっかけだそうです。熱意十分の方ですので、きっと上達されるでしょう。私も全力を尽くします。共に歩んで参りましょう。

0 コメント

自転車に乗るように歌えるといいですね

 大抵の方は子供の頃、自転車に乗る練習をして、乗れるようになったと思いますが、こういう形で歌が上手くなるのが理想ですね。理屈の入り込む余地が無いからです。

 

 自転車に乗れる人が、「あなたは何故、倒れることなく左右のバランスをとって自転車に乗れるのですか?」と尋ねられたら、答えに苦しむのではないでしょうか?「・・・それは・・・一定以上のスピードで走ることによって左右のバランスがうまくとれるから・・・」ぐらいが限界でしょう。私もそうです。

 

 しかし自転車には乗れる訳です。理由は分からなくても乗れる。これは大きいことです。実際に乗れるということほど強いことはありません。

 

 最初は補助輪を両方とも使って乗り始め、次は片方だけにする。それに慣れたら補助輪を外し、後ろを親に持ってもらった状態で乗る。そうするうちにいつの間にか親が手を放していて、誰の助けも借りずに乗れるようになっている。

 

 このとき子供に何故乗れるようになったのかと尋ねても「よく分からないけど慣れたから」ぐらいの答えしか返ってこないでしょう。それでいいのです。

 

 慣れないうちは転んだりして辛い思いもしますが、慣れれば乗れるようになる。理由も理屈も分からないけど、乗れるようになる。歌に関しても

これが理想だと思います。

 

 

0 コメント

気楽にやるのも大切です

 おはようございます。

 

 私は歌でもピアノでも何でも、上達するには努力が必要だと考えますが、一方で気楽にやるのも大事だと思っています。

 

 確かに努力は必要なのですが、余りにも「頑張らねば、頑張らねば」と気負い過ぎると、練習する際に余計な力みが生じてしまいそうですし、第一、歌うことがただ辛くなってしまいそうだからです。

 

 入試まで半年の時点で音大受験を思い立ったのなら、ただひたすら頑張ってもらいたいですが、趣味の方ならそこまで気負わず、気楽に取り組みましょう。

 

 努力のための努力をしてしまうと「歌う喜び、楽しさ」が減る恐れがあります。努力をするのは上達して歌う喜びを増やすためです。それ自体が目的ではありません。

 

 努力が辛くなったら、まず何のために歌を始めたのか思い出してみましょう。そしてその目的と今の辛さをすり合わせて、落としどころを見付けましょう。また、どういう状態なら歌っていて楽しいかも考えてみましょう。それでも答えが出なければ、「死ぬようなことではないから、まあいいや」と開き直って、しばらくぼんやりするのもいいかもしれません。無責任なことを言うようですが。

 

 どの程度頑張るかはなかなか難しいですね。

0 コメント

自信は無くてもいいですよ

 おはようございます。

 

 あるとき、同門ではありませんが、大学の後輩に、「私は自分に自信が無くて・・・」と相談されたことがあります。

 

 彼女は師匠に、「お客さんはわざわざお金と時間を使って聴きに来てくれているのだから、自信の無い歌を聴かせるのは失礼だ」と言われた、と言いました。

 

 この師匠の仰ることは確かに一理あります。歌い手に自信がある方が無いよりはよいでしょう。しかしそれは理屈です。理屈で心は動きませんから、正しい理屈を聞かされたところで自信が持てるようにはなりません。自分の心を騙すことはできないのです。

 

 私は自信が無くてもいいと思います。自信が無いから歌わないという発想がダメなだけで、彼女は自信は無くともきちんと舞台に立っているのです。それで十分です。

 

 そうやって自信が無いなりに歌い続ける内に、段々自信が持てるようになることもあるでしょうし、それでも持てなくてもそれはそれで構いません。

 

 自信の無いボクサーがリングに上がって相手と闘う、私はそれでいいと思います。リングに上がることが大事なのです。自信の有る無しを根拠にする必要はありません。

 

 写真は地震予知連絡会の様子です。地震は無い方がいいですね。

 

 

0 コメント

「我々は緯糸(よこいと)」

 おはようございます。

 

 題名の「我々は緯糸」というのは、私が大学院生だった頃にあった、日本舞踊の授業の先生が仰った言葉です。以下に詳しく書きますね。

 

 先生は、「世の中を動かす正業に就いている人(多分、会社員や公務員、その他堅気の仕事のことだと思います)は経糸(たていと)、我々のような舞踊家や音楽家は緯糸。緯糸は経糸を潤わさなければならない」と仰いました。

 

 実際に世の中を作り、維持しているのは「まともな仕事」をしている人達で、舞踊家や音楽家はいなくてもそんなに困らない人種だから、せめてそういう人達の心の潤滑油になって役に立ってあげなければならないということを、「経糸」と「緯糸」という言葉で表現されたようです。

 

 これには私も同感です。日本舞踊の先生は他人の悪口ばかり言う人で、人間としては尊敬できませんでしたが、この視点には同意できました。

 

 私の生徒さんの中には、「レッスンが励みになるので仕事も頑張れます」と言ってくださった方がいらっしゃいます。緯糸冥利に尽きる瞬間でした。

 

 

 

 

 

0 コメント

世界的声楽家は参考になりません

 おはようございます。

 

 今回の記事は先月の「上手くなる魔法の薬はありません」の続きです。

 

 世の中には声楽マニアの方もいらっしゃって、そういう方は数多くの世界的名歌手の歌を聴き込んでいらっしゃると思います。それに関し注意して頂きたい点があります。

 

 それは、単純に鑑賞する分にはいいですが、お手本として技術を分析し、真似る対象にはしない方がいいということです。

 

 これは二つの点で害があるからです。

 

 まず一つは、お手本にするにはあまりにも技術に差があり、無理があるという点です。世界的歌手は、歌い手が登らなければならない階段を、百段も千段も登った人達です。彼ら彼女らは一朝一夕にその高みに達した訳ではなく、練習を積み重ね、努力して目の前の壁を一つ一つ乗り越えて来たからこそ、今のその位置にいられる訳です。

 

 そういう人の技術を、CDや動画で聴いたぐらいで身に着けることは不可能です。次元が違い過ぎるからです。少年野球チームに入りたての小学生が、イチロー選手やダルビッシュ投手の真似をしても、うまくいきそうにないという気がしませんか?体自体が全然違うので、色々と故障してしまうのが落ちでしょう。歌でもそれは同じです。

 

 二つ目は、トップレベルの人をお手本にすることで、日々の基礎的な練習が馬鹿らしく感じられてしまう恐れがあるという点です。上を見過ぎるとどうしても、「こんなことやったところでどうにもならない」と思ってしまうのが人間の心理です。資産百兆円を目指すと、まともに普通の労働などしていられないという気持ちになるのと同じです。

 

 芸事の世界では、ヘリコプターで一気に山頂に登るようなことはできませんから、気長に、辛抱強く練習していきましょう。どこかの天才のことは放っておいて、変に上を見過ぎず、今の自分にできることをただ積み重ねていきましょう。それこそが上達への道です。

 

 

0 コメント

看板ができました

 こんにちは。

 

 当教室と妻のピアノ教室の看板ができました。この看板は、トールペイントをやっている、私の叔母が描いてくれたものです。水色の爽やかな雰囲気がとても気に入っています。

 それを義父が壁に取り付けてくれました。義父はこういう作業が得意なのです。

 

 看板を掲げることで、教室にちゃんと顔ができたようで、とても嬉しく思っています。当教室にお越しの際は、是非見てやってください。

 

0 コメント

上手くなる魔法の薬はありません

 おはようございます。

 

 声楽やピアノを習っている大人の方の中には、これは人からも聞く話ですが、ちょっとしたことで大幅に上手くなれる、言わば裏技のようなものを期待される方がいらっしゃいます。

 結論から申しますと、そういう魔法の薬のようなものはありません。もしあれば、いやらしい話ですが、今のレッスン料ではとてもお教えできません。

 

 人間が楽をして利益を得ようとするのは当たり前の心理で、他ならぬ私もそうですから、その気持ちをとがめるつもりはありません。楽をしてやろうと思って工夫を凝らすことで得られるものもあるでしょう。

 

 ただ芸事の上達には地味で地道な練習をするのが結局は速いように思います。

 

 どの世界にも、要領良く調子良く、何でも器用にこなし、悩みも何もなく巧く立ち回っているように見える人物がいますが、ごく一部の生まれつきの大天才を除けば、皆人知れず努力や苦労をしているものです。それが表に出ない雰囲気を持っているだけのことです。

 

 ですから自分は大天才ではないなという方は、覚悟を決めて、亀になりましょう。

 

 それにヘリコプターで山頂に降りても大して面白くないと思いますよ。

0 コメント

生徒さんが上達しました

 おはようございます。

 

 ある生徒さんが最近グングン伸びてきました。一年ぐらい前までは、高い音はミ(ト音記号第四間)までしか出なかったのですが、ここ一、二か月でソの♯まで出るようになりました。私自身が驚いています。

 

 この生徒さんが伸びた大きな原因は、あまり頭で考えないことだと思います。こちらがこういう風に声を出してください、こういう練習をしてくださいと言ったことを、ただ素直に実行してくださいました。

 

 ここで「前に読んだ本には違うことが書いてあった。どちらを信じたらいいのか?」と考え込んでしまう人は、伸びるのが遅いように思います。何を隠そう、私がそうだったからです。

 

 歌は体で覚えるものなので、知識は捨てて、考えずにやってみるのがいいですよ。 

0 コメント

眼精疲労

 秋以降、ひどい眼精疲労に陥り、なかなかブログを更新できません。もうちょっと安定的に書けるようになりたいですね。

0 コメント

第一印象が最悪の音楽に出会ったなら

 こんにちは。雨が多いですね。


 誰でも嫌だなと思う曲に出会うことがあるのではないでしょうか。テレビやラジオから流れてくる曲、街中でかかっている曲、CDに収録されている曲等、色々な場面で嫌な曲に出会うことがあると思います。ときには怒りさえ覚えるほど嫌だと思う曲に出会うこともあるでしょう。


 音楽は無理矢理聴くものではないので、それほど嫌ならもう聴かなくていいのですが、声楽やボイストレーニングを学ぶ人ならば、そこでちょっと立ち止まってみましょう。第一印象が最悪の曲は、自分の世界を広げるきっかけになる場合もあるからです。


 私の場合、第一印象が最悪だったのは、高校生のときに聴いたストラヴィンスキー作曲「春の祭典」です。当時クラシック音楽は優雅かつ甘美であるべきだと思っていたのですが、この曲は非常に荒々しく暴力的で、およそ優雅さや甘美さとはかけ離れた曲でした。聴き終えたとき、「こんな曲はクラシック音楽に対する冒瀆だ。許せない」と憤慨しました。


 しかしCDを買った以上聴かなければお金がもったいないので仕方なしに聴いていると、あるときふと、良さが感じられた瞬間がやって来ました。「この曲はこれでいいのだ。この荒々しいところが魅力なのだ」と素直に思えたのです。それ以来、優雅さや甘美さの無い曲も楽しめるようになりました。最悪の曲が私の狭い考えを崩し、音楽の世界を広げてくれたのです。


 こういうこともあるので、最悪だと思った曲はあえて何度か聴いてみましょう。結果的に好きになれなかった場合は、何故そこまで嫌いなのか考えてみましょう。徹底して嫌う曲について考えてみれば、自分はどんな曲が好きで、そもそも音楽自体をどう捉えているのかよく分かるからです。


 第一印象が最悪の曲をうまく利用して、自分の音楽の世界を深めていきましょう。勿論、一生嫌いなままでも構いません。


 写真は僕がよく聴いていた、ブーレーズ盤春の祭典のジャケットです。

0 コメント

魔笛終了

 おはようございます。


 23日の日曜日、無事にみやこオペラ京都第3回定期公演モーツアルト「魔笛」が終了しました。見に来て頂いた方には心より御礼申し上げます。


 前回にも書きましたが、一カ月しか無い短い稽古期間の中で、演出が二転三転したので、出演者は皆、「この公演はどうなるのだろう?」と不安に思っていました。しかしそれが出演者の集中力と団結力を高め、無事終了という結果を招く大きな要因になったようです。追い込まれた人間の力は大きいですね。


 本番当日は緊張で朝早く目が覚めました。素人の人の中には、我々のような人種はもう緊張しないと思っている方もいらっしゃるようですが、それは完全な誤りです。皆緊張します。


 私はオペラや演奏会に出演する度に、「こんなに緊張することを何故やっているのだろう?出なければこんな思いをしなくていいのに」と思います。しかしいざ舞台に出て歌ってみると、そこでしか味わえない充実感や達成感、興奮があるので、また次も出てしまうのです。そのときもまた同じように、「何故こんなことを・・」と考えるのですが。


 今回私は自分の中に流れる、歌い手としての血を再確認することができました。今後はオペラ等に出演する機会を今よりも増やしていこうと思います。

0 コメント

「魔笛」の稽古

 おはようございます。お久し振りです。


 モーツァルト「魔笛」の稽古が二週間ほど前から始まりました。久々のオペラで勘が鈍っている上に、演出が途中で変わることが多いので、かなり苦労しています。でも少しずつ慣れてきました。


 稽古場にいると基本的には緊張します。誰でも人前では上手に歌いたい、上手に演じたいと思うものです。と同時にそれができないかもしれない不安も抱きます。指揮者や演出家に自分の歌や演技を否定される不安もあります。心の中ではいつも色々な感情がせめぎ合っています。


 ときには「こんなに緊張することなんか止めてしまえたらどんなにか楽だろう」と思うこともあります。「わざわざしんどい思いをすることないじゃないか」と思うこともあります。


 でもまたオペラや演奏会に出てしまうのですね。緊張して苦しむと分かっているのに。心の中に人前で歌うことでしか満たされない部分があるのでしょう。


 結局、歌うことが好きな訳です。


 みやこオペラ京都第3回定期公演モーツアルト「魔笛」は、8月23日、伊丹市立音楽ホールアイフォニックホールにて、13時開演です。宜しくお願い申し上げます。



0 コメント

不屈の料理魂

 こんにちは。

 

 先日、煮物を作ってみようと思い立ちました。丁度、家に人んじん、じゃがいも、たまねぎがあったので、早速作り始めました。水に野菜とだしの煮干しを入れ、砂糖や醤油などの調味料を適当に入れて、煮込みました。


 途中で味見をしてみたら、想像を絶するようなまずさでした。その味は基本的には強い塩辛さなのですが、何か化学反応でも起こったのか、単純な塩辛さが非常に凶悪な変種と化していました。舌に強烈な刺激が残り、しばらくの間続くほどでした。


 私が今までの人生で作った料理の中で最もひどい味なのは確かで、「人間はこんなにもまずい料理を作ることができるのか」と、反対の意味で人間の可能性を知った気がしました。


 何とかしたいと思った私は、煮汁を捨て、砂糖を多く入れた煮汁で煮直せば、まだ修正できると考え、早速その作業を始めました。しかしさっきの味が強烈過ぎたのか、何の変化もありませんでした。


 諦めた私は「すいません」と謝りながら、失敗作を捨てました。なんだか死体を扱っているような気分でした。自分の過失のせいで死んでしまったにんじん君やじゃがいも君達よ、すまない・・・


 かなりのショックを受けたので、もう当分煮物など作りたくない気分でしたが、このまま煮物作りを苦手にしたくないと思い、実家の母に電話して煮物の作り方を聞き、もう一度作りました。結果、大成功とは言えませんが、程々のものは作ることができました。


 声楽やボイストレーニングをやっていると、大失敗することもあると思います。私も学生の頃、風邪をひいていることに気付かずにオペラに出演し、序盤から声が出にくくなり、終盤にはほぼ完全に出なくなるという事態に陥ったことがあります。かなりつらい思いをしましたが、その後もまたオペラに出演しました。


 大失敗してもまた起き上がって歩き始めましょう。


0 コメント

懸垂

 こんにちは。

 

 家の近くに公園があり、そこにぶら下がり健康器具のようなものが置いてあります。去年この器具で懸垂をしてみたところ、一回しかできませんでした。二、三回はできると思っていただけにショックで、その後ときどき背筋(はいきん)を鍛えるようになりました。


 一昨日この公園に行ったときにふと思い出し、懸垂をしてみたら、三回できました。「三回しかできなかったのか」と思う方もいるかもしれませんが、懸垂は見た目よりもずっと大変な運動で(思い出したときに是非やってみてください)、私はトレーニングの結果、少ないですが回数を増やすことができたので、素直に嬉しかったです。五回できるようになるのがとりあえずの目標です。


 声楽やボイストレーニングをやっていると、苦手な練習や曲、なかなかできないことも出てくると思います。そのときに焦らず、また諦めずに取り組んでみてください。今すぐに克服しなければならない、結果を出さなければならないと思わず、でも「どうせダメだ」とも思わず、じっくり取り組んでみてください。私のような、本格的にスポーツをやったことがない者でも地道なトレーニングで懸垂の回数を増やすことができたのですから。


 歌はカップラーメンのように三分間待てばできるものではありませんし、ネット検索のようにボタン一つですぐ分かるものでもありません。慌てず、焦らず、諦めずを合言葉に、ゆっくりやりましょう。

0 コメント

本番前の飲酒

 こんばんは。

 少し更新の間が空きましたね。目が非常に疲れやすくなったので、今後は目の疲れ具合を見ながら更新していきたいと思います。


 昔、最初に習った先生が、「『歌う前にお酒を飲むと筋肉がリラックスして歌いやすくなる』という話をしたら、泥酔してレッスンに来た生徒さんがいた」という話をされたことありました。その話を聞いて以来、酒の効果が知りたいと思うようになりました。


 大学を卒業するとき、卒業演奏会に出演したのですが、ふと酒のことを思い出し、やってみようと思い、本番当日梅酒を買って楽屋に入りました。一缶全部飲むのは不安だったので、半分だけ飲んで本番に臨みました(残りは人にあげました)。


 結果はと言うと、酒の効果はありませんでした。飲み方が足りなかったのかもしれません。ただ、そもそもそれまで一度もやったことがないことを、本番でいきなり試したのは無茶だったと今では思います。それに酒の力を借りるのもあまり感心できないように思います。本来なら、酒を飲まなくても筋肉をリラックスさせて歌う技術を身に付けるのが先決でしょう。


 極度の上がり症で、酒でも飲まなければとても人前では歌えないという人は仕方ありませんが、そうでないのなら、酒に頼らなくてもちゃんと歌えるように努力しましょう。


0 コメント

苦手克服!

 こんにちは。


 私はつい数日前までトマトジュースが苦手でした。トマト自体は好きなのですが、ジュースにするととんかつソースの延長線上のような味を感じるので飲めませんでした。初めて飲んだのはまだ小学校に入る前でしたが、一口飲んで吐き出したように思います。それ以後ずっと苦手で、避けてきました。ここ数年の間にも、「もう大人になったから飲めるかもしれない」と思い、二、三度試してみましたが、やはり飲めませんでした。


 しかし最近、妻が実家から大量のトマトジュースをもらってきたので、「もう一度だけ試してみよう」と思って飲んでみたら、飲めました。一口目はトマトジュース特有の、とんかつソースのような強烈なクセを感じてむせ返りそうになりましたが、そこをこらえると二口目からは特に問題なく飲めました。人間は30年以上かけて苦手を克服することがあるということを知りました。


 声楽やボイストレーニングを習っていると、苦手な練習や曲に出会うことは多いと思います。そういうときはまず、「自分はこれが苦手なのだな」と、自分の苦手意識を見つめましょう。早急に克服しなければならないことなら、すぐに取り掛かりましょう。急がなくてもよいなら焦らず、優先順位の高い、他の練習からやりましょう。全ての苦手をすぐに克服しなければならないと思い過ぎると気分が追い込まれるので、不急のものについては何かきっかけがあって思い出したときに手を付けてみましょう。最初の苦手意識が強かっただけで、意外と克服できるかもしれません。


 時間がかかってもいいと思いますよ。

0 コメント

音楽をやる人は運動をしましょう

 おはようございます。

 

 題名の運動というのは勿論体育的な意味での運動であり、「自由民権運動」などの社会的な働きかけの意味ではありませんよ。

 

 何をやるにしても、健康は大事です。特に声楽の場合、音を鳴らす主体が自分の体しか無いので、ときどき運動して健康状態を良好に保ちましょう。心身の状態が悪いと良い声も出にくいです。

 

 また体力が無いと、体力的にきつい仕事ができないので損です。数年前海外に演奏旅行に行ったのですが、私は病気がちで体力が無いため、現地での頻回のバス移動に疲れ切り、何とか全ての本番に出演できたものの、ギリギリの状態でした。同じことをもう一度やれと言われたらさあ、できるかどうか。健康の大切さ、体力の大切さを痛感した次第です。

 

 健康状態が悪いと意欲も失われがちになるので、何かに挑戦する機会を逸することもあります。これも音楽をやる上では損です。ですから、もし本格的に音楽をやりたい人は、練習時間を削ってでも何かしら運動をすることをお勧めします。ジョギング、水泳などがよいようです。

 

 ただもし、十日に一度水泳をするが、普段の移動は全て車、階段は上らずに常にエスカレーターかエレベーターを使うという人は、水泳をするよりも日常生活の中で自分の足を使う方がよいでしょう。特別な運動より生活の中に鍛錬が組み込まれている方が長期的にはよいと思います。車でジムに行ってトレッドミルで走っている人を見ると、近所で走ればいいのにという気がします。

 

 ちなみに私は今までに水泳や縄跳びで肉体改造を試みましたが、結局は挫折してしまいました。今はウォーキングと腕立て伏せ等の軽い筋力トレーニングをやっています。これでもやらないよりはましでしょう。

0 コメント

漢方薬と音楽のレッスン

 おはようございます。

 

 私は慢性的に胃が弱く、漢方薬を飲んでいます。漢方薬と言うと銀色の小袋に入った顆粒状の薬を思い浮かべる人が多いと思いますが、私は生薬を煎じて飲むことの方が多いです。その方がよく効きます。面倒な作業ですが、今のところ何とか続いています。

 

 漢方薬が何故効くのかという科学的根拠は最近でこそ少しずつ研究され、明らかになり始めているようですが、大部分はまだよく分かっていないようです。それでも実際に飲んでみて効いたという歴史の積み重ねがありますので使用されています。

 

 医師の中には「作用機序(薬の効く仕組み)が分からない薬など使いたくない」と言って、漢方薬を使わない人もいます。それに対し、「そういう態度は自己満足の医学に過ぎない。効きそうな薬があって、それなら飲みたいという患者がいるなら使うのが医師のあるべき態度だ」と批判する人もいます。

 

 どちらの考えにも理があるので、どちらか一方だけが正しい、あるいは間違っているということはありませんが、私は「効きそうな薬なら仕組みが分からなくても使えばいいじゃないか」という考えでした。しかしこれを音楽のレッスンに当てはめて考えてみると、そう簡単に扱える問題ではないと気付きました。

 

 例えば、もし「阿波踊りで歌がうまくなる」ということが、何人かの人によって経験的に明らかにされたとしましょう。そのとき私は自分のレッスンに阿波踊りを採り入れられるかどうか考えてみたのです。漢方薬に対する態度を考えれば、「うまくなれそうな方法ならやってみればいいじゃないか」という発想が浮かぶはずですが、素直にそうは思えませんでした。

 

 まず私自身が阿波踊りで上達した訳ではないので、「私が阿波踊りを教えること」に必然性がありません。これはやっていてつらいと思います。私が積み重ねてきたものと関係が無いからです。

 また、仮に阿波踊りで生徒さんが上達したら、「今まで自分がやってきたことは一体何だったのか」という根本的な疑問に駆られそうな気がします。そう考えると効き目がありそうだからといって簡単に阿波踊りの導入はできないと思わざるを得ません。何をやっても全く上達しない生徒さんのための最終手段としてやむを得ずやるぐらいでしょう。

 

 これはなかなか難しい問題です。ですから、「作用機序が分からない薬は使わない」という医師を簡単に批判してはいけないと思いました。

 

 写真は漢方薬を煎じるのに使っているやかんです。

 

0 コメント

暗譜の仕方

 おはようございます。

 

 人前で歌うために、暗譜をしなければならないことがあります。どうやって暗譜するか、私なりの方法を述べたいと思います。

 

 まず一番理想的なのは歌い込むことです。歌い込んで自然に覚える、これ以上の方法はありません。時間があるとき、喉の調子が良いときは、自然に覚えるまで歌いましょう。

 

 歌い込む余裕が無いときは、市販のCDや練習時の自分の声等、何らかの音源を聴くという方法があります。子供の頃、毎回見ていた好きなアニメの主題歌をいつの間にか覚えていたという経験が誰にでもあると思いますが、これをもっと能動的にやる訳です。ただ聞き覚えの場合、どうしても細かいところが雑になりがちですし、楽譜から曲の全体像を掴む訓練ができなくなりますので、特に初心者の方は、余裕があるなら実際に歌って覚えましょう。

 

 補完的な暗譜の方法として、楽譜を目で見て覚えるというやり方もあります。ページのどの辺りにどんな歌詞があったかを、一種の「画」として見て覚えます。その覚えた画を本番中、適宜脳裏に再生して、歌詞を思い出すのです。例えば、「今左ページの終わりに差し掛かったから、次は右ページの頭だ、従って次の歌詞はこう続く」という具合です。

 

 これはどちらかと言うと、ピアニスト的な暗譜のやり方らしいです。視覚認識能力に優れている方にお勧めです。ただ人間の記憶力は完璧ではなく、脳内再生データが途切れてしまうこともあり、そういうときは舞台上でちょっとしたパニック状態に陥りますので過信は禁物です。また当たり前ですが、仮に見ただけで覚えられたとしても、練習はしましょう。

 

 歌詞がややこしく相当苦戦するときは、ブツブツ歌いながら紙に書いて覚えるときもあります。もう受験勉強のような状態です。ここまでやることは少ないです。

 

 以上私なりの暗譜のやり方でした。参考にしてください。

0 コメント

才能を嘆く前に

 おはようございます。

 

 音楽に限らず、スポーツ、学術研究等、何らかの専門分野に打ち込んでいる人で、自分の「才能」の無さを嘆いたことのある人は多いのではないでしょうか。それほどでなくても、他人の才能を羨んだことぐらいならあるのではないでしょうか。勿論私にもあります。今日はこの才能について考えてみましょう。


 才能という言葉は普通、「特定の分野に対する先天的な資質」という意味で使われます。音楽の才能、スポーツの才能、商売の才能というように。確かにこういう才能はあります。私はこれを「純粋才能」と呼んでいて、世間ではこの純粋才能が重視されるときも多いですが、私はそれが全てではないと考えています。


 かつて私の恩師は「やり続けることが才能」と仰いました。これを聞いたときはあまりピンと来ませんでしたが、今では確かにそうだと思います。同じようなことを各界で成功した人も言っていて、例えば将棋の羽生善治名人も「努力し続けることが才能」と言っています。将棋なんてそれこそ純粋才能の世界だろうと思いがちですが、羽生名人はかなりの努力を続けて今の地位を築いたのです。決して才能だけに頼ってはいません。


 最近才能とは「根気と集中力」のことではないかと思うようになりました。私はこれを「周辺才能」と呼んでいて、純粋才能と同等、場合によってはそれ以上の力を発揮するとさえ考えています。


 根気とは「飽きずに取り組み続ける辛抱強さ」のことですが、「ずっと好きでい続けられる気持ち」も含んでいます。音楽なら、音楽をずっと好きでい続けられる気持ちが大切です。その気持ちを持って、練習するときはひたすらに専念できる集中力があれば、純粋才能にあまり恵まれていなくても、いいところまで行けるのではないでしょうか。反対に、純粋才能はあっても、根気も集中力も無ければ大成することはできないでしょう。


 「自分には才能が無い」と嘆く前に、まずは根気と集中力をもって取り組んでみましょう。

 

0 コメント

基礎練習を大切にしましょう

 おはようございます。

 

 基礎練習を大切にしましょうと聞いて、それは嬉しいと思う人は少ないのではないでしょうか。大概の人は基礎練習と聞くと退屈でつまらないものという印象を持たれていると思います。でも基礎練習をおろそかにしてはいけません。


 野球の練習を思い浮かべてみましょう。プロでも高校野球でも何でもいいのですが、毎日の練習が始めから終りまで試合形式のものだけということは考えられません。ランニング、筋力トレーニング、素振り、キャッチボール、打撃・守備・走塁練習等々、野球をやる上で必要な力を養うために、色々な基礎練習をするはずです。こういった基礎練習には面白味は

あまり無いと思われますが、試合で十分に活躍するためには必要なのです。


 歌も同じです。呼吸の練習や発声練習、音感の練習のような基礎練習で歌を歌うために必要な力を養います。派手で華やかな歌を歌うことは楽しいですが、そういった歌を十分に歌い切るにはやはり基礎力が必要です。


 確かに基礎練習は面白味に欠けます。しかし習慣になれば苦にならなくなります。それに十分な基礎力が備わっている方が、結果的には色々な歌を歌ったときにより楽しく感じられるでしょう。


 ただ基礎練習が絶望的につまらなくてつらいという人は一度中止しましょう。歌を歌って楽しいということはやはり極めて重要ですから。


0 コメント

趣味は変わっていく

 こんばんは。

 最近実家から今が旬のタケノコをもらいました。タケノコご飯や煮物、炒めものにして食べました。とても美味しかったです。


 タケノコが段々と昔より好きになってきましたね。十年前、二十年前まではタケノコなんてあまり興味はありませんでした。トンカツや焼きそば等、いかにも若い男が好みそうなものが好きでした(今でも好きですけどね)。


 でも三十代半ばとなり、元々弱かった胃がさらに弱くなったのもあって、脂ものが徐々にきつくなってきました。反対に、タケノコのような旬の野菜が好きになってきました。竹になろうとする力を持ったタケノコをバリバリと食べる、そういうことが好きになってきました。好む味が変わってきた訳です。


 音楽の趣味も年と共に変わりました。十代後半から二十代後半ぐらいまでは近代音楽が好きでした。作曲家で言うと、ドビュッシー、ラヴェル、ストラヴィンスキー、バルトーク辺りです。彼らの和音やリズムの複雑さや鋭さに魅力を感じていました。


 でも徐々にそういった刺激の強い音楽をあまり聴かなくなってきました。耳が「もうお腹いっぱい」になってしまった状態です。これには今の世の中に、強い視聴覚刺激が氾濫しているせいもあるでしょう。最近はもっと単純な美しさを好むようになりました。筝(いわゆるお琴)の音がとても綺麗だと感じます。「ディオニュソス」的なものから「アポロン」的なものへと好みが変わったようです。


 後何年かしたら、ワラビ、ゼンマイ、フキノトウがすごく美味しいと思うようになっているかもしれません。

0 コメント

「クラシックは何遍も出たり入ったりするから嫌いや」

 おはようございます。

 題名は私の父がかつて言ったことで、「何遍も出たり入ったり」とは、クラシックの演奏会のカーテンコールのことです。確かに演奏会が終わると、出演者が舞台の袖に引っ込んだり、また舞台上に出てきたりというのを拍手に合わせて何回か繰り返します。あれが嫌いという訳です。「しつこい、くどい」ということなのでしょう。


 私はカーテンコールという習慣を当たり前だと思っていたので、父の言葉は非常に新鮮でした。そういう「嫌い方」もあるのかと、意外に感じました。ただ確かにカーテンコールの最中、「もういいだろう」というような表情でうんざりしている人も見かけますし、次に用のあるらしい人が、早く退出したそうにしているのを見かけることもあるので、私が思っている以上に父と同じ考えの人がいるのかもしれません。


 また、カーテンコールとは本来、観客が拍手で呼び出すから出演者がそれに応えて再び顔を出す、というサービスだと思いますが、半ばそれが「定型的な手続き」と化している側面もありますので、一度お客さんの真意を問うてみるのも無駄ではないでしょう。


 そこで、一度カーテンコールの無い演奏会をやってみてはどうかという話になるのですが、やってみたらやってみたで「どことなく物足りなかった」、「もっと余韻を味わいたかった」という声も多いような気がするので、なかなか難しいですね。

0 コメント

やる気が出ないときの対処法

 おはようございます。

 歌を学んでいると、どうしても練習をする気が起こらなくなるときがあります。これは人間である以上、仕方がありません。私自身も最近、気温や気候が変わりやすい今の時期が苦手なのもあり、あまりやる気が出ません。そういうときどう対処するか、いくつか対策を述べます。


①関係のない歌を歌ってみる

 今取り組んでいる歌の練習をしなければならないと強く思い過ぎることが負担になっている場合があります。そういうときは関係のない歌を歌ってみましょう。歌う義務のない歌を歌う訳です。したがって、ロック、アイドルソング、歌謡曲等何でもいいので、ただ楽しんで歌える曲を歌いましょう。それで楽しくなったら、その勢いでいつもの練習に戻れる場合があります。


②ピアノ(他の楽器も可)を弾いてみる

 これはより周辺から攻める、言わば外堀から埋める方法です。歌を歌う気にならなくても、ピアノならちょっと弾いてみてもいいと思えるときは、まずピアノの前に座りましょう。そしてクラシックである必要は全くありません、何か適当な曲を弾いてみましょう。ポップスでもアニメソングでも演歌でも結構です。

 弾いているうちに「音楽は楽しいな」と思えるときがあります。そうなったらしめたものです。そのまま弾いていると「歌ってみてもいいな」という気になることが多いです。そこで歌の練習に切り換えましょう。


③諦める

 もう本当に、ピアノさえ弾く気が起こらないほどやる気が出ないときの最終的な対処法です(対処も何も諦めてしまう訳ですが)。やる気のなさが問題になる背景には、人間はいつもやる気を出し続けなければならないという強い思いがあります。しかし人間は一定のやる気を保つことはできません。そのことを正面から認め、「そのうちやる気が出るだろう」と思ってその日は諦めます。やる気がないまま死んでしまうことはないので、勇気をもって諦めます。

 ただ、受験生の場合は①や②の方法で早めに日々の練習に復帰するのが望ましいでしょう。人によっては、一日の中でやる気の出やすい時間帯が大体同じという場合があるので、そのときに①や②の方法を使うと効果的です。


 歌をやっていると色々なときがありますが、うまく乗り越えていきましょう。


0 コメント

ウグイスはなぜ鳴くのか?

 こんにちは。

 三日ほど前、家の近所でウグイスが鳴くのを聞きました。豊中という都会で聞けるとは思っていなかったので、少し驚き、また嬉しく思いました。そのときふと、「ウグイスはなぜ鳴くのか?」と疑問に感じたので、ちょっと考えてみました。

 

 鳥が鳴く理由として考えられるものと言えば、仲間への自分の位置情報の提示、縄張りの主張、敵に対する威嚇、複数羽での連携行動の合図、異性への求愛、この辺りでしょうか。

 

 「ホーホケキョ」という鳴き方の雰囲気から考えると、敵意や緊急性を帯びた理由は当てはまらないと思われるので、上に挙げた候補から、縄張りの主張や威嚇を除いたものの中に正解がありそうです。

 

 しかしどうも私にはピンと来ません。そこで思い付いたのは、「鳴くこと自体が楽しいから」という理由です。「ホーホケキョ」というのんびりしながらも技巧的な鳴き方には遊びの要素が感じられ、楽しんで鳴いていると思わずにいられません。「楽しい」という感情が鳥にあるのかどうか疑問ですが、インコやオウムのような人語を真似る鳥には感情があるのではないかという報告もあるので、「楽しいの先祖」とでも言うべき原始的な感情ぐらいはあっても不思議ではありません。

 

 人間が歌を歌うのも、まずはそれ自体が楽しいからだと思います。歌の練習や勉強が辛くなったときは、このことを思い出しましょう。

 

0 コメント

新ホームページ開設!

 はじめまして、木戸健太です。

 これまで妻のピアノ教室のホームページを共同で運営して参りましたが、今年度より、声楽部門を「木戸声楽教室」として独自に運営していくことに致しました。それに伴い、講師ブログも私のものはこちらで更新していきますので、宜しくお願い致します。

 過去ログは全て、 木戸ピアノ教室 内の講師ブログの欄にありますので、ご興味のある方はこちらからお願い致します。

 

0 コメント