◎声楽と教室への想い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は高校一年生の夏に声楽を習い始めました。元々クラシック音楽を聴くのが好きで、クラシック音楽を特技にしたいと思い、それぐらいの年齢からでも上達できる声楽を選んだのです。「いい声だ」と先生に褒められ、嬉しかったのを今でも覚えています。一年ほど習った後、音楽とは全く関係の無い分野に興味を持ち、一旦やめたのですが、数年後再び声楽の世界に舞い戻り、今に至ります。

 

 人間は太古の昔からずっと歌と付き合ってきました。言葉を使い始めたのとほぼ同じ頃から歌を歌っていたと思います。あるいは言葉は無くても音声自体はあったでしょうから、それ以前から歌っていたかもしれません。いずれにせよ、機嫌の良いときや単調な労働に飽きたとき、死者を弔うときなど、生活の様々な場面で歌を歌っていたはずです。歌は人間と共に長い歴史を歩んできた、身近で大切な仲間なのです。

 

 そんな身近な存在ですから、歌は誰でも歌えます。しかし、舞台の上で聴衆を満足させる歌を歌うことは簡単ではありません。それには確かな発声技術と表現力が必要です。特に声楽の場合、基本的にはマイクがありませんので、発声技術は非常に重要です。また、マイクのある世界でも、基礎的な声楽の発声技術が大いに役に立つことは明らかです。息の流れによって声帯が振動して声が出るという仕組みは同じだからです。

 

 私は学生時代、あまり真面目に勉強しませんでした。ただ、発声に関してはかなり苦しんでいたため、何とかしたいという気持ちが強く、また物事の仕組みに興味を持つタイプなのも手伝って、必死に取り組みました。その結果、何とか納得のいく発声技術を身につけられたと思っています。数年前、学生時代にお世話になった演出家の先生に、「木戸はいい声だな。変な癖が無くて」と言われたとき、やはりこれでよかったのだと思えました。

 

 でも私は自分の発声技術をまだまだ改良したいので、今もどうすればもっと上手くなれるか研究しています。その成果を生徒さんに還元していくことが、私の願いであり、務めだと考えています。初心者の間に、無理のない、自然な発声法を身に付ける筋道を示してあげたいのです。

 

 声楽に取り組んでいると、色々な自分に出会います。今まで知らなかった優しい自分や純粋な自分に出会うこともあれば、できれば知りたくなかった醜い自分や情けない自分に出会うこともあります。技術だけではなく、そういった感情や葛藤とどう向き合い、乗り越えるか。それも声楽をやる上では大切な作業です。歌う私達も人間なら、聴いてくれるお客さんもまた人間だからです。声楽を通して人間として成長できれば、それに勝る喜びはありません。

 

 ただ、一番大切なのは「楽しんで歌う」ということです。なかなか上達せず、つらい時期もあると思いますが、歌うことは楽しいという出発点だけはいつまでも忘れないでください。それに尽きます。

 

 終わりになりましたが、同じレッスン室でピアノを指導している私の妻は、「地域に密着した教室にしたい」とよく言っております。私も同じように思います。私達二人にどれだけのことができるか分かりませんが、私達の教室が地域の皆様のお役に立てば、望外の幸せです。